はじめに
前回のコラムでは、「職場よりも難しい家庭での対話」というテーマで、家族との対話について考えました。
相手を大切に思うほど、私たちは話を最後まで聴く前に介入したくなる。
「相手のため」という善意が、結果として対話を閉じてしまうこともある。
そんなことを書きました。
その後、もう一つ考えるようになったことがあります。
対話ができるようになったとして、その先で私たちはどうやって相手に良い影響を与えていけばいいのだろう、と。
部下にも、子どもにも、パートナーにも、「より良くなってほしい」と願う気持ちは自然なものです。
でも、その願いが強くなるほど、「影響を与えること」と「コントロールすること」の境界が曖昧になることはないでしょうか。
変わってほしい。その気持ちが難しい
仕事でも家庭でも、「相手のためを思って」伝えたことが、思うように伝わらなかった経験はないでしょうか。
何度も説明したのに変わらない。
良いと思って助言したのに反発される。
先回りして失敗を防ごうとしたら、かえって距離ができてしまった。
そんな場面は、決して珍しくありません。
相手をコントロールしたいわけではない。でも、変わってほしい。
この二つの気持ちは、とても近いようで少し違うのかもしれません。
そして、その違いが見えなくなったとき、私たちは知らず知らずのうちに、相手の選択まで引き受けようとしてしまいます。
「影響力」とは何だろう
影響力という言葉を聞くと、「人を動かす力」を思い浮かべることがあります。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
例えば、尊敬する上司や恩師を思い浮かべてみると、「こうしなさい」と言われたことよりも、一緒に考えてもらった経験の方が印象に残っていることがあります。
答えを教えてもらったからではなく、自分で考えるきっかけをもらった。
だからこそ、その経験が長く残っている。
もしそうだとすると、影響力とは相手を動かす力というよりも、相手が自分で考えられる関係をつくることなのかもしれません。
だから難しい
もちろん、言うほど簡単ではありません。
部下の成長を願えば、つい答えを教えたくなります。
子どもの将来を思えば、失敗を避けさせたくなります。
プロジェクトを成功させたいと思えば、結論を急ぎたくもなります。
どれも「良かれと思って」の行動です。だから難しい。
問題は善意があることではなく、その善意が相手の「考える機会」まで奪ってしまっていないかどうか。
前回のコラムでは、「善意が対話を閉じることがある」と書きました。
今回は、その延長線上で、「善意が相手の主体性まで奪ってしまうことはないだろうか」と考えています。
まとめ
リーダーシップについて考えていると、「人を動かすこと」と「人に影響を与えること」は、同じではないように思えてきます。
相手を思うからこそ、「変わってほしい」と願う。
その気持ちは、ごく自然なものです。
けれど、その願いが強くなるほど、私たちは知らず知らずのうちに、相手の選択や答えまで引き受けようとしてしまうことがあります。
一方で、自分で考え、自分で選べる関係の中では、人は少しずつ変わっていく。
そんな場面を、私たちは職場でも家庭でも見てきました。
だから最近、こんなことを考えるようになりました。
影響力とは、人を動かす力ではなく、相手が自分で考えられる関係を育てることなのかもしれない。
もちろん、それが簡単にできるわけではありません。
だからこそ、家族との会話や職場での対話を振り返るたびに、「影響力とは何だろう」と考え続けたいと思うのです。
※本記事は、Crucial Learning社の公開記事をきっかけに、Talk to Impact株式会社の視点でリーダーシップと影響力について考察したものです。